発行年: |
2016.4 |
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発行元: |
表象文化論学会・月曜社 |
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特集:爆発の表象
「いま、表象文化研究の最前線はどこにあるのか? 巻頭対談では、領域横断的なイメージ論を精力的に展開している岡田温司・田中純の両氏に訊く。続く特集1では爆発の表象をめぐる様々なアプローチを吟味。花火製造術から現代アートまで、初期映画から現代ハリウッド映画まで、至るところで表象されている「爆発」を、崇高論の枠組みを超えて論じる。さらに特集2では、演劇やダンスから儀礼・祭祀までを包括する「パフォーマンス」をめぐる言説のあり方を再検討する。
[目次]
◆巻頭言
言語と表象(佐藤良明)
◆対談
新たなるイメージ研究へ(岡田温司×田中純)
◆特集1:爆発の表象
共同討議:「爆発的メディウム」の終焉?――映画、アニメーション、ドローン(石岡良治+北村紗衣+畠山宗明+星野太+橋本一径)
電気じかけの夜(フィリップ゠アラン・ミショー/森元庸介訳)
爆発への無関心(ジェフリー・スコンス/仁井田千絵訳)
平和と原子爆弾(セルゲイ・エイゼンシュテイン/畠山宗明訳・解題)
◆特集2:パフォーマンス論の現在
共同討議:パフォーマンスの場はどこにあるのか(森山直人+武藤大祐+田中均+江口正登)
方法論としてのニュー・ドラマトゥルギー――共同討議の余白に(内野儀)
パフォーマンス/ミュージアム(三輪健仁)
◆投稿論文
パンとサイコロに賭けられるもの――聖史劇の聖別と瀆聖(杉山博昭)
洞窟という鑑賞装置――フレデリック・キースラーの《ブケパロス》(瀧上華)
歌う声を〈きく〉行為――歌う身体と聴く身体が交叉するところ(堀内彩虹)
小津安二郎『お早よう』におけるオナラの音(正清健介)
◆書評
スクリーン・プラクティスのふくらみ――大久保遼『映像のアルケオロジー――視覚理論・光学メディア・映像文化』書評(細馬宏通)
エクフラシスの快楽――岡田温司『映画は絵画のように――静止・運動・時間』書評(堀潤之)
ロシア・アヴァンギャルドの複雑に絡んだ糸を解きほぐす――河村彩『ロトチェンコとソヴィエト文化の建設』書評(柏木博)
過去と未来の狭間にあり続けること――田口かおり『保存修復の技法と思想――古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』書評(金井直)
薄明の映画論──中村秀之『敗者の身ぶり──ポスト占領期の日本映画』書評(松浦寿輝)
写真のパラノーマリティ――浜野志保『写真のボーダーランド――X線・心霊写真・念写』書評(前川修)
メディアアートの歴史的瞬間――馬定延『日本メディアアート史』書評(原島大輔)
映画の「自動性」と「世界への信」――三浦哲哉『映画とは何か――フランス映画思想史』書評(武田潔)
音楽と驚異――村山則子『ペローとラシーヌの「アルセスト論争」――キノー/リュリの「驚くべきものle merveilleux」の概念』書評(横山義志)
「世界認識の方法」としてのリアリズム――小林剛『アメリカン・リアリズムの系譜――トマス・エイキンズからハイパーリアリズムまで』書評(横山佐紀)